-仕事とレース1-
バトルマガジン2001年11月号より








 菅生スーパー耐久レースの練習ため、スポーツランド菅生に行った。練習結果はなかなかよく、帰りのトランスポーターの中では再来週のレースのことを思い浮かべて、一人でニヤけては喜んでいた。そして家に帰るため、東北道をひた走る。運転しながらから聞こえてきたFM番組のテーマは“転職”。私にとってかなり重い言葉。常日頃頭を悩ますもの。それが“仕事とレース”。

 好きなことをやる。やれる環境・やれない環境。やりたいことを出来ない理由を挙げていけばキリはないし、人の数だけ悩みはあって、その悩みの内容も千差万別。友人のドライバーと交わす言葉で一番多いのが、“会社で休みがとれなくて練習に来られなかった”とか“会社がレースで休むといい顔をしてくれない。首になりそう(涙)”“仕事が忙しい”などなど。 レースを続けたい!だけど人間、それだけでは生活できない。生活するにはお金が必要。



 レースを続けていく上で、私は何度か転職を繰り返してきた。少しでもいい条件の会社へと。同い年の人より、絶対に働いた時間と職業の数は負けないと思う。だけど、私は悩んでいた。そんな私を励ますような言葉が、ラジオから聞こえてくる。“どこかに留まりたいと思うなら、今ある場所を旅立たなければいけない”昔の人はかっこいい言葉を言うな〜。この言葉を聞いて、正直“やられた”と思った。だってその通りなんだもん。

 1ヶ月=約30日として、シーズン中で1ヶ月に6〜15日程度(レースの開催場所規模による)、シーズンオフで1ヶ月に3〜6日ほど、私はサーキットを走行している。じゃあ三上和美は、残りの22〜27日は何やってるの?って話になるよね。

 ズバリ働いています。(あたりまえか〜!?って) レーシングドライバーの他に、雑誌のライターやモデル、走行会・メーカー系・イベントのゲストやインストラクターの仕事をしている。何だかこうして書いていると、自分で“すごいじゃん三上和美!”とか思ってしまうけど、そんなに華やかなもんじゃないのよレーサーは。

 華やかなのはレースの時やピットウオークの時だけで、それ以外の時は、結構地味なもの。インストラクターの仕事とかは毎日あるわけでもないし、ライターの仕事も月に数本。それ以外の日は、自称“普通のOL”。




 朝9時に会社に行き、机の上にある書類の準備や整理。取引先に電話をかけ、「では何時にお伺いしますので宜しくお願いいたします♪」そして、ホワイトボードに“三上帰社時間3時”とか書いて、営業車(AE86)に乗って出かけるの。職場ではレースをしていることは言ってあるけど、活動内容は一切話さない。

 車好きの同僚にレースの事を聞かれても、すぐに話をそらす。何故なら意地悪な上司に、仕事とレースどっちを取るんだ?ってきかれたら困るじゃない。会社にいる時は、仕事に集中する。
 仕事だけのことを考えているフリをする。もしかして、何かミスをしてしまったときなんかに、“レースをやっている奴はいいかげんな奴が多い”とか言われたくないから。



 今私がメインで勤めている会社は、すごく融通がきくので、レースをやるにはもってこいの職場(一ヶ月の半分会社を休んでも、出勤した日にしっかり仕事さえすれば文句を言われない)。この仕事があってこそ、レース活動ができるってことを常々感じている。レースとはまったく無縁の会社だけどね。でも今の環境を手に入れるのは決して容易じゃなかった。何度か“人生の岐路”という崖っぷちにたたされたし。

 高校生のとき、始めて“走り屋”という物に出会った私は、バイクを手に入れるために年齢をうそついて、居酒屋でバイトをはじめた。時給が良くて自由がきくから。親からおこづかいがもらえなかった私は、がむしゃらに働いて、友人からTZRを買った。10代の時は体も丈夫だったし、“寝る間を惜しんで働く”ということが出来た。

 その後バイトは、街角の英会話のビラ配り、空港の機内食のバイト、ガソリンスタンド、ホテルやイベントのウエイトレスと続く。ところが!寝る間を惜しんで働いた上に、その後友達と朝まで遊んだりしたため、元気だった体がいきなりダウン!ぶっ倒れた。



 高校を卒業してからトラックの運転手をしたけど、これがまたとんでもない会社で、過積載はするし不法労働はさせられるし(怒)。面接の時聞いた話と全然内容が違っていたので半年でやめた。その後転職をして、違う会社で再びトラックの運転手に。転職先の会社はとてもいい会社で融通はきくし、休みも多い。スタッフもみんな良い人ばかりで、仕事もやりがいがあって、毎日が楽しかった。

 この当時の私は峠とかに通っていて、レースに全然興味がなかった。運転手をしながらでも十分カーライフは楽しめたし、“何の悩みもなく、毎日が楽しくって友達と遊びまくる”日々が続いた。
(若いときは遊ばないとね!)



 そんな矢先、峠で大事故を起こし、生まれてはじめて“サーキット”というものを知った。サーキットを知って、私の人生は180度変わる。サーキットで走る自分の姿を頭に思い浮かべるだけで、胸がドキドキして止まらない。仲間と遊んでいても、仕事をしている時も寝る時も、いつも考えることは“サーキットを走りたい!”

 雑誌を買いあさって土日の走行会を探し、サーキットに通いはじめた。最初は走行会で十分だったけど、すぐに草レースに転向。しばらくして”公認レース”を知ってしまった私に、迷いの日々がはじまった。20歳の私にでも“公認レース”をすることの大変さは十二分にわかっていた。でもすぐに踏み切れなかった一番の理由は、“会社を辞めなければ公認レースが出来ない”こと。思い立ったら即行動!の三上和美が、今回ばかりは、踏ん切りがつかなかった。





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