中学生の頃
通学路でいつもすれ違う風を切って走るバイク。“バイクに乗れたらどこまで遠くにいけるのだろうか?”それが私が一番初めに感じた走ることへの憧れでした。16歳になったら絶対免許を取ろうと決意。しかしその思いは、両親の「バイクなんて不良の乗るものだ。おまえをそんな不良娘に育てた覚えはない。バイクに乗りたいなら親と子の縁を切る。2度と家には戻ってくるな!」という 大反対の下に、走ることへの情熱を、一時封印せざるを得ないことになってしまいました。しかし高校2年の17歳のある日、あふれる思いを抑えきれずに強行突破を決意!強引に免許を取得し、バイクで色々な場所に出かけるなどして、次第にバイクを操る楽しさ、ひいては走る楽しさを知りました。

時は流れて
1999年
普通免許取得と同時にスポーツカーを購入し、走る舞台は4輪へ。必死のアルバイト続け、念願のサーキットデビューを果たしました。1998年には草レースにデビュー参戦。出場レースのほとんどで入賞をかざり、翌99年には、公認レースにデビューしました。 数えて2戦目の雨のレースでは、並居る強豪を押しのけてポールポジションを獲得したばかりではなく、その後も様々の好成績を残すなど、周囲の注目を浴びる活躍ができました。

2000年
初めての海外レース“タルガタスマニアラリー”に参戦。 ラリー初挑戦ながらクラス準優勝(ワンメイク1位)を獲得したのをはじめ、 国内最高峰の耐久レース“スーパー耐久”にも参戦し、シリーズ6位を 獲得。さらに“MINIタッグスレース”ではシリーズチャンピオン。2000年 大注目の“ヴィッツレース”にも、スポット参戦しました。 またこの年は、セイフティードライブ・インストラクターや各メーカーからスカウトされ、色々なお仕事をいただくなど、様々な 面で前進することが出来ました。

デビュー3年目となる2001年
“N1耐久スクランブルレース”で2回の優勝を飾ることが出来たのを筆頭に、初開催のレースということでレース界の注目を集めた“もてぎ7時間耐久レース”では総合3位を、“MINITAGSレース”では最高順位クラス2位をそれぞれ勝ち取り「表彰台の常連」に。レーシングドライバーとしての評価を飛躍的に高めることが出来ました。同年はまた、自動車専門誌2誌にレースレポートの連載を開始したのを皮切りに、試乗インプレッションの連載コーナーを担当させていただくことになりました。 さらにはパイオニア鰍フイベントポスターのモデルに採用していただきました。
 
そして迎えた2002年
私はこの年を「勝負の年」と位置付け、トップカテゴリーへの登竜門である 「フォーミュラー4シリーズ」への挑戦をスタート。参戦3年目となるスーパー耐久シリーズでは、今まで にも増して死に物狂いでぶつかって行く事を心に誓い、チャレ ンジを開始したところ、その甲斐あって、同シリーズで「女性として史上 初めて表彰台に登る」という快挙を成し遂げたのを皮切りに、 3戦連続で表彰台を勝ち取るなど、周囲を「アッ!」と言わせ る好成績を上げたのです。

2003年は、
始めて大きな挫折を味わいました。今まで順調に結果を残せた箱のレースとは違い、フォーミュラーレースでは常に悔し涙と反省の連続。小さい頃から英才教育を受けている経験豊富なドライバーが多い中、私が一番の初心者。さらに予算不足のため、テストもあまりこなせない・・・。“それでも負けたくない!”人生すべてそうかもしれないけれど、ライバルはいつも自分自身で、“自分に勝つことって難しい”ということを感じた一年でした。

2004年
は引き続き
フォーミュラーレースと耐久レースにスポット参戦し、自分の限界への挑戦を続けたほか、シーズンオフには昨年同様、GT300のマシンもテストさせて頂きました。 一方で、様々なメディアを通じてモータースポーツの魅力を伝える活動や日本の自動車文化の向上などにも貢献して行くために、メディアへのPR活動にもより一層力を注いで行きました。

そして・・・2005年
更なる飛躍の年を迎えることが出来たのです!
2005年はフォーミュラー4への挑戦を続けながら、GT300マシンのテストを4回。十勝510km耐久レースではポール・トゥ・ウインを飾り、マレーシアの国際的行事「セパン12時間耐久レース」では6位入賞を獲得しました。この活躍によりアジア諸国で高い評価をされ、連日ドキュメンタリー番組や、TV、ラジオ、新聞に出演し、翌年の参戦も確定。さらにVOLVOジャパンよりのスカウトを受け、2005年からスタートした「VOLVOセーフティングセミナー」のメインゲストに大抜擢されました。

2006年
には昨年の結果が認められ
ポルシェカレラカップジャパンに「全世界初の女性レーシングドライバー」として参戦。毎レース表彰台争いをしたことから、雑誌媒体を初め各方面で大きな注目を浴びました。セパン12時間耐久にも引き続き参戦。世界中のメディア関係者・レース関係者から、非常に高い評価をいただきました。

デビュー9年目となる
2007年
当初からずっと目標としていた「SUPERGT選手権」に参戦するために準備を重ねてきましたが、あと一歩のところで悔し涙を飲むこととなりました。現在は夢の実現のために、数々のレースに参戦してスキルアップを図っている最中です。






 

恋をした相手はレースでした

本当にレースが大好きで、好きで好きで仕方がなくて・・・いつもどんなときでも24時間、レースのことだけを考えてしまう自分がいます

何ももっていなかった自分に、レースは
「夢は必ず叶う」という事と
「夢を持つ大切さ」を教えてくれました

いつも誰よりも速く走りたくて、サーキットに行きたくて、“レースに出られるのならば、自分が今もっているものすべて捨ててもかまわない”誰よりもレースに対する思いは負けないと、いつも思っています

人生をかけて夢中になれること
人生をかけて挑戦したいこと

それが私にとってレースです
「モータースポーツ」には不思議な魅力があります
夢・憧れ・希望 その一方にある 挫折・苦しみ・・・0.001秒に魅了されて、早十数年。今後も自身の限界に挑戦し続けたい思いは変わりません

ぜひ、お力をお貸しください
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