5月8日〜11日“プロローグ〜DAY3“



5月8日“プロローグ“

 長〜い下準備も終わって、今日からやっとレースカーに乗るのが許されます。他のページでも説明があるように、このラリーは他のラリーと違って、ナビゲーターとドライバーが交代交代で運転できます。(あまりにもステージが長いのもあると思います)もっともチェンジしないチームがほとんどですが(私のチームは午前中の全ステージを私が走り、午後に相棒が走るという作戦でした)

 レースの内容は、タルガステージと呼ばれる全長1、5km〜50、5kmに及ぶSS(毎日10ヶ所ぐらいある)と、ツーリングステージと呼ばれるステージ(SSと、SSまでの道のりなど。これが何分以内というのがあってすごいたいへん)があり、どれも一切気が抜けないステージです。

 ちなみにタルガステージは、レースタイムとトルフィータイムというのがあり、レースタイムにいかに近いタイムで走るのがポイントと、トルフィータイムというタイムを全ステージでクリアすると、最後に表彰されるという内容です。(これを目標に走っているチームが多い)

 最初は車輌保管場所のシルバードームから、カジノホテルに向かいます。この行きでビックリしたのが、タスマニアの国を挙げてのイベントであるのをつくずく感じたことです。道には、子供からお年寄りまでたくさんの方々が手をふってくれているのです。日本じゃ絶対信じられないことです。レースカーが通っては手を振ってくれて、振り返すと子供なんて、ジャンプして喜んでくれて、私たちが通るとほぼ全員の道を歩いている人&みている人が手を振って歓迎してくれているのです。

 初日はプロローグといって、313台も参戦するのでここで日本でいう予選みたいのを行います。30秒ごとにスタートするため、ここのステージのタイムによって、スタート順を決めます。(ちなみにタイムがいい人ほど後ろからスタートです)私のチームは総合85位クラス5位という結果でした。その後タスマニアの市民のかたと交流しました。


5月9日(火)“DAY1“

 とにかく困った・・・・。ラリーコンピューターのつかい方が全然わからないのです。私も相棒も、簡単!と、聞いていたのと、MGの方を試走させられる時間がまったくなかったために、ショップの方がマシンを作ってから昨日まで、一度も車に乗れなかったんです。
 日本人のエントランとの方に聞いても最新式のラリーコンピューターのために、みんなつかい方がわからない・・。国際電話で色々日本のかたとやり取りして、なんとか少し理解できたんだけど・・。

 いろんな問題を抱えつつも、手取り足取りなんとかステージをこなせました。このころぐらいから他のドライバーが引いていた風邪をもらってしまい、熱と、吐き気の症状をこらえながらのレースになりました。日本じゃレースのとき風邪をひいたことが無いために、悔しい想いと、情けないおもいでした。でもでるからには完走する!フラフラになりながらの幕開けでした。

5月10日(水)”DAY2”
 あいかわらず具合が悪い、日本からもってきたユンケルと、風邪薬を飲みながらの運転。私が運転している時は集中しているので、大丈夫なんだけど、ひとたびハンドルから手を離すともう立っていられない状況まで悪くなりました。でも相棒のサポートときづかいと、私自身気力でなんとか乗り越えました。なんだか毎日雨が降ります。

5月11日(木)”DAY3”
 どんどんコースのほうは難しくなってきました。NEWSで、きのう1台谷底に落ちたポルシェの方が危篤状態ということを知りました。日本人の方でもリタイヤした方が出てしまい、状況はどんどん厳しくなってきました。

 どのぐらい危ないようなところを走っているかというと、箱根や、筑波山をもっと路面を悪くして、ガードレールをなくし、大雨で前が見えないのに全開で走らなきゃいけない。というような危ないところをいっぱい走りました
ここできずいたのが4月のスーパー耐久の時に、大雨のハイランドをたくさん練習していたのガスごく今になって役に立っていることと、パワーの無い車には雨がチャンスなので、丁寧に、確実に走りました。
ここはシルバードームといって、
参戦車輌の保管場所&展示場です。
(レース前半のみ)
たくさんの観衆に見送られ1台ずつ
カジノホテルからスタートです。
最初のプロローグの舞台、
ジョージタウンです。