My Story.1からの続きです。
その後は、国内最高峰の耐久レースシリーズに毎年参戦したばかりか、夢だったフォーミュラーカーのシリーズにも3年ほど参戦。さらにその他にも本当に数多くのレースへの出場を果たし――気が付けば、常に自分の限界にチャレンジをする日々を送っていました。
世界を飛び回る日々
そして順調にステップを昇るに従い、活動の幅は次第に日本国内を飛び越えて、「海外のレースチームからお声掛けをいただき、レースのために1ヶ月単位で海外に滞在をする」という、夢のような生活も経験しました。
レースへの参戦だけではありません。TOYOTAをはじめとする多くのメーカーのインストラクターとして全国を走り回ることができたのも、良い思い出です。最盛期には6誌ほどの雑誌から連載をいただいたほか、ゴールデンタイムのニュース番組への出演、イベントでは、サッカーイングランド代表として当時一世を風靡したデビッドベッカム氏との共演を果たすなど、ドライバーとしての知名度が上がるに従い、信じられないようはお話しも数多くいただくようになりました。
辞め時に悩み始める
しかし活動を続けるうちに、ひとつの大きな事実が見え始め、それが次第に大きくなって行くのでした。それは「レーシングドライバーとは、とてもじゃないけど長く続けられる職業ではない」という、アスリートなら誰でも突き当たる現実です。
一見すると順風満帆にも見える生活ですが、「辞め時」と引退後の生き方は、毎日毎日忘れることなく頭の片隅にあったのは事実です。
レースが無ければ、自分には何もなくなってしまいそうだという思いには、それこそいつも駆られていたし、実際レース以外、当時の私が生きる道はなかったのかもしれません。 ”レースから離れたら、自分には一体何ができるだろう?”と、思い悩むこともありました。
ただ、レーシングドライバーを辞めた後の目標として、「社会に貢献できる人間になりたい」ということを、ずっと思っていたのも事実です。
それはまだ日々の中で、全く形にはなっていませんでしたが......
My Story.3に続きます
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